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赤毛のアン

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ようこそ。赤毛のアンの世界へ

アンについて

 「あたし、もう完全に近いくらい幸福なのよ。
どうしても完全に幸福になるわけにはいかないの」


生活をするプリンス・エドワード島アヴォンリーの自然を好み、愛する人たちに触れるたびにいつも人生の喜びをほかの人の3倍くらい強く感じて生きているアン。
人並みはずれた想像力と才気、行動力に恵まれて、最高に魅力的な女の子です。

まさに理想的な子ども像です。

そして、16歳で教師になったアンは、「名誉の名簿にのるよりも、生徒たちから愛されて、学校出てからも本当の助力者として思い出してもらいたい」と高い理想を掲げて教育に情熱を傾けます。

まさに理想的な保育士像です。

カナダの作家、L・M・モンゴメリの書いた「アン・オブ・グリーンゲイブルス」(日本語訳:赤毛のアン)、全編にわたって普遍的なことは、アンが「誰の生活の中へでもかならず、ほほえみと愛の一言を、日光のように差し込ませる」ところ。光の子、アンのように子どもたちが育ち、アンのように人生の美しさを持つ人になりたいと思います。
 

赤毛のアンとわたしたち

宮前保育園の園舎、保育ビジョンのモチーフとなった「赤毛のアン」。私は、この「赤毛のアン」を通じて物語の主人公アンと翻訳家の村岡花子さん、このお二人から、子どもたちに伝えていきたい心、生き方をについて冒頭にも記したように大きく影響を受けています。

子どもたちには“夢を与えていく保育園でありたい”その保育ビジョンを形にしたものが園舎であり、アンのようにすべてを明るく受け止め、自然や人々と調和して生きる姿を保育士の指導方針そして保育内容を形成し目指しています。

もう一人の村岡花子さんは、331日からNHK朝ドラ「花子とアン」の主人公となった翻訳家。これまで、翻訳家としてそのお名前は有名ではありませんでしたが、私、個人的には、母校の山梨英和で教師をされていたこと、姉妹校の東洋英和のご卒業生であること、甲府のご出身であることを、宮前保育園が「赤毛のアン」にたどり着いたときにお名前、経歴を知り、偶然とも言える村岡花子さんとの出会いがありました。

村岡花子さんに最も感銘を受けた点は、アン・シャーリーという人の3倍くらい感受性が高く人並み外れた想像力と才気に恵まれた魅力的な女の子の気持ち、心、言葉、態度をあれほどまでに生き生きとそしてのびのびとした人格をも表現しつつ日本語に訳されたことに驚きました。しかも、“Anne of Green Gables”の本をカナダ人宣教師から贈られてからというもの、第二次世界大戦中も翻訳を続け、敗戦を経験し経済革命へと転機した混沌とした日本の時代にこのような自由闊達な日本語訳がいかにしてできたのか?と、感動に近い尊敬を抱きました。

村岡花子さんあって、この作品が日本人に中でも多くの思春期の少女たちに親しまれてきた理由にほかならないと思います。

 
 このようにアンに魅了された人々の輪は、海を越え、時を越え、わたしたち宮前保育園のコンセプトとして、つながり影響をもたらしました。
2001年、新しい園舎を建築するとき、わたしたちの園舎の敷地はアボンリーの自然のように美しい山梨の山々に囲まれた豊かな環境を与えられました。

子どもたちの心の健康、体の健康のためにこの山梨の木を使った木造建築で園舎を建てたいと思いました。

そして、子どもたち、その親御さんが子育てや自分の未来に夢を持てるような保育園にしたいと思いました。

夢の縦糸、横糸が「赤毛のアン」の世界が一致しました。
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